江戸時代の豪商「加島屋(かじまや)」
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大同生命の特別展示『大同生命の源流“加島屋と広岡浅子”』
※画像はいずれもクリックすると拡大します
大同生命では創立120周年記念事業の一環として、大阪本社ビルのメモリアルホールの特別展示『大同生命の源流“加島屋と広岡浅子”』で「加島屋本宅再現模型」の展示がされています。その模型を見学して、祖母(9代目久右衛門正秋の一人娘)の生まれた家をリアルに感じることが出来ました。
100年先プロジェクト
大阪の豪商・加島屋伝来! 阪神淡路大震災で奇跡的に見つかった阿弥陀像を修復へ
豪商「加島屋」の歴史的な資料を百年先に残したい!
- 第1弾:2022年12月 神戸大学へ廣岡家文書を寄贈寄託
- 第2弾:2023年1月~ 修復費調達のための活動(クラウドファンディングなど)
- 第3弾:2025年(加島屋創業400年)の節目をゴールとして、修復された仏像や掛け軸の展示を目指す!
① 阿弥陀如来立像(応急修復)
阿弥陀像と掛軸を修復したい!
阿弥陀如来像は廣岡家の仏壇にあったものです。祖父母亡き後は、伯母が仏壇を守っていました。
1995年の阪神大震災時、近所に住んでいた私が伯母のマンションへ駆けつけると、マンションは全壊状態。
お仏像は仏壇から飛び出して床に転がっていました。
まだ余震が続く中、近くに転がっていた衣装ケースにお仏像を入れて運び出しました。
今でも不思議ですが、本当にピッタリサイズの衣装ケースにタオルとシーツも入っていて、仏様が「コレで運び出せ!」と指示したに違いないと思いました。
しかし、無事に運び出したものの、お仏像は右足甲の破損で自立出来なくなりました。
あれから27年、2022年夏に大阪くらしの今昔館特別展「商都大坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし」で展示して頂くことになり、調査の結果、約800年前の仏像ということが分かりました。私は約800年生き残った仏様の強運に感動しましたが、壁に縛り付けられた状態での展示になり、仏様に大変申し訳なく心が痛みました。
作品について
穏やかな瞼の表現にみられるように「彫り込みすぎない彫り方」をされていること、目に水晶(玉眼)を入れずに彫刻で表現(彫眼)されていること、額部分の髪の生え際が直線的に表現されていることなどから、平安時代後期の仏像の特徴を持っています。
後世に、オリジナルの上から下地層・金箔を新たに施す修理がされている可能性があり若干表現が甘くなっていると思われますが、製作当初の雰囲気をよく残しています。
台座と光背は江戸時代の製作と思われます。
当時の所蔵家の財力を背景として、荘厳のために贅を尽くして製作された様子が伺えます。
〈今回の応急修復について〉
- 乾いた筆で表面の汚れを除去
- 右足先の部材のずれた部材をいったん取り外し、膠水溶液で所定の位置に再接着
- 台座の柄穴に部材が残存しており、摘出したところ、後世に施されたと思われる柄の延長材であることが判明した。これを膠水溶液で所定の位置に再接着し、安定して台座に据え付けることが出来るようにする
- 右手欠損部については、将来の文化材指定等を見据え、今回は部材を補うことをせず、現状のままとする
- 光背の右下一条については、部材が細く、解体しない状態では再接着が困難である為、今回は現状のままとする
- 光背の雲模様装飾の一部が脱落している箇所は、似寄りの針金を用いて所定の位置に取り付ける
以上の応急修復は完了し、2023年6月17日(土)の特別展示セミナーにで公開いたしました。
ご支援を有難うございました。
修復の成果及び修復後の様子
修復の成果
右足甲の破損を接着|自立出来るようになりました
修復後の様子



支援者名記載のポスター

今後の本格的な修理について
- 指、袖端部の欠損の補填、手首の角度調整(類例調査、学識経験者の助言必要)
- 全体的な剥落止め
- 光背の分解と、落下部材の再接着
- ほぞ穴の調整(遊びを少なくし、像及び光背のさらなる自立安定を図る)
- 後世の修理の際に施された下地が漆ではなく胡粉などの場合は、後世施工の層を取り除いてオリジナル層を出すことも可能。但し、下地に漆が用い
られている場合は、除去しようとするとオリジナルの層まで剥がれる可能性がある為、除去せず、表面の剥落止めにとどめる(要調査)
以上、(株)光影堂様の見積書より引用
平安時代後期から鎌倉時代前期(12世紀後半~13世紀前半)の制作。穏やかで優しい表情、頬の膨らんだ丸みのある顔立ち、浅く彫られた衣文様の表現、正面から側面へゆったりと展開する曲面構成などに、定朝様の特徴がみられる。横顔にもこの時代の仏像らしい気品が漂っている。全体に襞(ひだ)の作りが大きくゆったりしていて、おおらかな印象を受ける
おそらく平安鎌倉の古仏を、浄土真宗の本尊に転用したものと推測される。浄土真宗寺院の木仏本尊は、本願寺仏所で定め通りに制作されたものが下賜(かし)されることになっていたが、願い出て支障が無ければ自身が信仰してきた仏像も許可された。真宗寺院の木仏本尊にはこうした例がしばしばある。由来については今後の研究にまちたい。
両手先、両足先、表面の漆箔、光背、台座は後補と思われる。光背、台座の荘厳具は、丁寧に制作された本格的なもの。ただ江戸時代の蓮華座にはあまり見られない意匠が見られ、独特な装飾性が感じられる。あるいは明治期のものか。光背も台座も同時期。
以上、大阪くらしの今昔館(特別展図録)「商都大坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし」より引用
② 西本願寺門主裏書の掛軸
この掛軸を初めて見た時、ボロボロでゴワゴワに丸まっていて触ったら崩壊しそうでした。「ご先祖様のものでなかったら捨てていた」と思いました。その後、今昔館の調査で約360年前の貴重なものと判りました。
絹本著色方便法身像(保存修理)


西本願寺門主良如裏書き「方便法身像」約360年前
〈作品について〉
裏書きから西本願寺第十三代良如上人(1612~1662,1630~1662門主在位)からの下賜品と判明する方便法身像(阿弥陀如来像)です。
本紙(絵の部分)は、絹に岩絵具と金泥、截金を用いて描かれており、これらを絹に接着している膠の強度が低下して剥落が進行しています。
絹に描かれた絵画は、表からだけではなく裏からも絵具で彩色が施されていることが多く、表の絵具が剥落して絹だけになっている箇所は、絹の目から裏の絵具の色が透けて見えている状態です。


表絹本著色方便法身像(裏側)
濃い青色に見える部分は、銅の成分が含まれた絵具を使っているため、酸化により裏打ちの紙の変色、強度低下を進行させています。
巻き解きの繰り返しにより折れが多数発生しており、このことが原因で、絵具の剥落が今後さらに進行する恐れもあります。
絵が描かれた絹に直接裏打紙が打たれ、さらに周囲の裂(きれ)とあわせて複数回の裏打ちが施されて掛軸に仕立てられています。その際に使用される糊は「小麦澱粉糊」で、おおむね100年経つと接着力が弱まったり、逆に全体が硬くなってしなやかさが失われたりし、さまざまな損傷を引き起こす原因となるため、日本の絵画はおよそ100年ごとに定期的に解体修理(裏打ちの打ち直し、仕立て直し)が行われてきました。
この作品は、江戸時代初期に制作されたあと、江戸時代末期から明治ごろに少なくとも一度は解体修理が行われています(その時に、裏書きが再使用された痕跡があります)が、そこから起算しても優に150年以上は経過していると思われ、今後絵を維持していくためには、解体修理が必要な時期をすでに迎えているといえます。


〈今回の本格的修理について〉
・絵具層の状態が危険であり、絹の両面に絵具層があることから、水をたくさん使用して短期間に裏打の取替、仕立て直しを行う一般的な方法では、絵の大切な表現が損なわれてしまう可能性があります。また、裏打紙はすでに絵や掛軸全体を保持する力を失ってしまっていることから、すべての裏打紙を取り除いて新たな手漉和紙に交換する必要があります。
・絵の表面を保護した上で、裏面の絵具を壊すことがないよう、少しずつ裏打紙を取り除いていくため、修理には半年以上の期間を必要とします。
・折れなどにより、絹自体がなくなってしまっている箇所には、補修絹(放射線照射により強度を弱めた補修専用の絹)をはめ込みます。
・周囲に付いている裂や金具は、絵に相応しい上質のもので、前回修理のときにも元のものを修理して使ったと思われますので、今回も、損傷している箇所を修理した上で再び使用します。
・将来の折れの発生を少しでも遅らせるため、軸を太く巻くための「太巻添軸」を作成し、新しい桐箱に納入します。
・裏書きは、前回修理では表装背面に貼り戻ししていましたが、前述のように、掛軸を保持するには強度が低下しているため、取り外して別に保存(散逸を防ぐため、本紙と同じ箱に納入)します。このことにより、作品と裏書きを並べて展示することも出来るようになります。
〈その他〉
本願寺第十七代法如上人(1707~1789、1743~1789門主在位)の下賜にかかるもう1幅の方便法身像についても、上記と全く同様の損傷が見られます。


以上、(株)光影堂様の修理所見より引用

廣岡家は西本願寺の有力門徒で、北御堂の講中総代でした。西本願寺の日記によると、初代の冨政はたびたび本願寺に参上し、季節の礼や節句の祝儀の進物を贈っています。本山から下賜された「方便法身像」(阿弥陀如来像)は、本願寺良如(1630~1662門主)が冨政(法名教西)に与えたものです。「廣岡氏系図」には冨政の妻、禄について「母は京西本願寺寂如様御腹揚徳院殿寂照様女也」としており、寂如とは兄妹であったと記しています。近年、禄(法名如意)が西本願寺の女官に宛てた書状も発見されました。冨政が延宝八年(1680年)に没したおりには、二代の正吉が本願寺に銀子二十貫目、金子100両を献上し、寂如が小広間で対面し返礼しています。更に元禄十五年(1702)の禄の三回忌には、寂如自身が読経しており、深い関係がうかがえます。廣岡家は江戸時代を通じて本願寺と強い絆で結ばれ、宝暦元年(1751)には西本願寺の学林(僧侶の教育機関)の講堂修復を支援し、天明八年(1788)の大火でも学林の再建に尽力しました。本願寺門主の和歌懐紙や書画が数多く残されているのはその表れと言えます。
以上、大阪くらしの今昔館(特別展図録)「商都大坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし」より引用。
プロジェクトにかける思い
◆ 学術研究への貢献

右:李安忠の鶉図の模本
加島屋の名品、三幅対(鶉図・鶺鴒図・雀図)の内の二幅
廣岡浅子の茶会にも用いられた。(雀図は行方不明)

100年先まで残すプロジェクト
私は最後の子孫として、廣岡家に残された文化財の中でも、特に傷みの激しい「阿弥陀如来立像」と掛軸(かけじく)「方便法身像(良如筆)」を修復するため、「100年先まで残すプロジェクト」とを立ち上げました。
<100年先プロジェクト>
・第1弾:2022年12月 神戸大学へ廣岡家文書を寄贈寄託
・第2弾:2023年1月~ 修復費調達活動(クラウドファンディングなど)
・第3弾:2025年(加島屋創業400年)の節目をゴールとして、修復された仏像や掛け軸の展示を目指す!
クラウドファンディング
<応援メッセージ>
谷直樹(大阪市立大学名誉教授)
岩間香(摂南大学名誉教授)
高槻泰郎(神戸大学経済経営研究所准教授)
藤井大輔(大同生命・コーポレートコミュニケーション部長)
吉田一正(大同生命・社史担当課長)
2022年7月15日~9月26日 大阪くらしの今昔館にて
廣岡家所蔵の米切手243枚の展示の前で
「豪商の金融史」著者の神戸大学経済経営研究所准教授・高槻泰郎先生と
クラウドファンディング終了:2023年3月8日~4月29日
152名の支援者様から134万円の支援を頂きました
達成率134%で終了!感謝!御礼申し上げます。
目標金額を達成しましたが~
加島屋廣岡久右衛門家には、まだまだ修復したい文化財がたくさんあります。
1つでも多くの文化財修復を目指しますので
引き続き、ご支援賜りますようお願い申し上げます。





