大同生命の特別展示『大同生命の源流“加島屋と広岡浅子”』

※画像はいずれもクリックすると拡大します

大同生命では創立120周年記念事業の一環として、大阪本社ビルのメモリアルホールの特別展示『大同生命の源流“加島屋と広岡浅子”』で「加島屋本宅再現模型」の展示がされています。その模型を見学して、祖母(9代目久右衛門正秋の一人娘)の生まれた家をリアルに感じることが出来ました。

2021年12月21日 神戸新聞掲載
2023年5月13日 神戸新聞
2023年5月13日 神戸新聞夕刊掲載

西本願寺門主裏書の掛軸

この掛軸を初めて見た時、ボロボロでゴワゴワに丸まっていて触ったら崩壊しそうでした。「ご先祖様のものでなかったら捨てていた」と思いました。その後、今昔館の調査で約360年前の貴重なものと判りました。

〈その他〉

 本願寺第十七代法如上人(1707~1789、1743~1789門主在位)の下賜にかかるもう1幅の方便法身像についても、上記と全く同様の損傷が見られます。

西本願寺門主法如裏書き「方便法身像」(裏面)約230年前
西本願寺門主裏書き「方便法身像」

廣岡家は西本願寺の有力門徒で、北御堂の講中総代でした。西本願寺門主裏書き「方便法身像」

西本願寺の日記によると、初代の冨政はたびたび本願寺に参上し、季節の礼や節句の祝儀の進物を贈っています。

本山から下賜された「方便法身像」(阿弥陀如来像)は、本願寺良如(1630~1662門主)が冨政(法名教西)に与えたものです。

「廣岡氏系図」には冨政の妻、禄について「母は京西本願寺寂如様御腹揚徳院殿寂照様女也」としており、寂如とは兄妹であったと記しています。

近年、禄(法名如意)が西本願寺の女官に宛てた書状も発見されました。冨政が延宝八年(1680年)に没したおりには、二代の正吉が本願寺に銀子二十貫目、金子100両を献上し、寂如が小広間で対面し返礼しています。

更に元禄十五年(1702)の禄の三回忌には、寂如自身が読経しており、深い関係がうかがえます。

廣岡家は江戸時代を通じて本願寺と強い絆で結ばれ、宝暦元年(1751)には西本願寺の学林(僧侶の教育機関)の講堂修復を支援し、天明八年(1788)の大火でも学林の再建に尽力しました。本願寺門主の和歌懐紙や書画が数多く残されているのはその表れと言えます。

以上、大阪くらしの今昔館(特別展図録)「商都大坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし」より引用。

プロジェクトにかける思い

学術研究への貢献

左:徽宗皇帝の鶺鴒図の模本/右:李安忠の鶉図の模本

加島屋の名品、三幅対(鶉図・鶺鴒図・雀図)の内の二幅
廣岡浅子の茶会にも用いられた。(雀図は行方不明)

クラウドファンディング

8年前、連続テレビ小説の風俗考証を担当して、大阪の豪商・加島屋と出会いました。

そこで、廣岡家の方々と知り合いになり、6年前に館長をしていた施設にお雛様を寄贈していただきました。

そして、昨年、廣岡家が創業した大同生命から依頼されて、加島屋本宅の再現模型を設計・制作しました。

次は、大阪の貴重な文化遺産を校正の人々に伝えるこの事業を応援したいと思います。

皆様のご賛同をお願いいたします。

大坂を代表する豪商であった加島屋廣岡家には、貴重な文化財が伝わっています。

廣岡家のご子孫は、これまでに雛人形を博物館に寄贈するなど、保存に向けて努力されてきました。

今回は同家に伝わる平安時代の仏像と、江戸時代初期の仏画の修理を計画されています。

修理後はこれらの作品が公開され、研究が進むことが期待できます。皆様のご協力をお願いいたします。

江戸時代の金融を研究しています。

江戸時代経済の中心にあった大阪の、さらにその中枢に位置した廣岡家のことは、まだ史料が大量に発見される前の大学院生の頃から追いかけておりました。

今回の修復プロジェクトは、廣岡家の方が現代まで受け継いでくださった貴重な財産を、さらに未来まで受け継いでいくために、とても重要な意義を持つものだと思っています。

皆様からのお気持ちのこもった御志が集まりますことを祈念しております。

大同生命の礎を築いた大坂の豪商、加島屋。今回のクラウドファンディングを通じて、加島屋当主の家に間い伝わる貴重な文化財の修復・保存活動が行われます。

かつて加島屋が家を構え、活動の拠点とした大阪では、2025年に「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマにした万博が開催されます。この年は、いみじくも加島屋が創業したと言われる1625年から400年の節目に当たります。

加島屋を源流とする企業に身を置くものとして、万博、そして、さらにその先の未来に向かって多くの方のご支援が集まり、今回のプロジェクトが成功に至ることを、心より願っております。

加島屋では鴻池や住友と並び商都・大坂を代表する豪商でした。

その当主である廣岡家が明治時代に生命保険業に進出し、合併を経て1902年に創業したのが当社「大同生命」で、初代社長には加島屋九代目当主の廣岡久右衛門正秋が就任しました。

そのため、大同生命は加島屋の経営に関する歴史資料を所蔵しており、現在、その一部を特別展示という方で公開しています。

今回のプロジェクトの対象となる阿弥陀仏と掛け軸は、加島屋廣岡家の方が代々大切にされてきた貴重な文化財です。

このプロフェクトが、加島屋をより多くの方に知っていただき、未来に向かって受け継がれていく機会となることを心から願っています。皆様の積極的なご支援をお願いします。

祖父である10代目廣岡久右衛門の願いは「廣岡家を絶やすな」というものでした。しかし、残念ながら、今この祖父の思いを叶えることはできません。父も早くに亡くなり、私が嫁いだことで後を引き継ぐ者がいなくなったからです。

結婚当初は、子どもが生まれたら、廣岡家に養子に迎え入れてもらい「血を残す」ことも考えていましたが、残念ながら子には恵まれなかったことから現状に至ります。ただ、血は残せないとしても、「加島屋」の名を歴史的にかつ多くの方の記憶に残すことはできます。

2022年夏に開催した「大阪くらしの今昔館」の展示会場で、米切手243枚(神戸大学経済研究所に寄託分)を前に、高槻泰郎先生と。

そのような思いからも、クラウドファンディングのプロジェクトを立ち上げることで、「加島屋」の名を多くの方に知っていただく機会にしたいです。子孫としては、廣岡家が絶えても「廣岡家が残したモノ(経済と文化)」を通じて、多くの廣岡家ファンが誕生すれば幸いです。

第1弾:クラウドファンディング

平安彫刻の阿弥陀如来像を修復したい!

大阪の豪商|加島屋伝来 仏像・掛け軸

西本願寺門主裏書の掛け軸(方便法身像)

100年先プロジェクト

大阪の豪商・加島屋伝来! 阪神淡路大震災で奇跡的に見つかった阿弥陀像を修復へ 

豪商「加島屋」の歴史的な資料を百年先に残したい!

  • 第1弾:2022年12月 神戸大学へ廣岡家文書を寄贈寄託
  • 第2弾:2023年1月~ 修復費調達のための活動(クラウドファンディングなど)
  • 第3弾:2025年(加島屋創業400年)の節目をゴールとして、修復された仏像や掛け軸の展示を目指す!
  • 第4弾:大阪市指定文化財を目指す
  • 私は廣岡家の最後の末裔として「廣岡家の文化財は、もはや廣岡家個人の資産ではなく、日本史として貴重な資料であり、その学術研究のために共有されるべき文化財」と思うに至りました。同時に、研究に活かしていく為には、ただ単に保存するだけではなく修復が必要と思いました。
  • そこで研究者の先生方(谷直樹氏、岩間香氏、高槻泰郎氏)、大同生命の広報担当者(藤井大輔氏、吉田一正氏)らの方々のご協力を得て、後世に残すために100年先プロジェクトを立ち上げました。

100年先プロジェクト

今後の本格的な修理について

  • 指、袖端部の欠損の補填、手首の角度調整(類例調査、学識経験者の助言必要)
  • 全体的な剥落止め
  • 光背の分解と、落下部材の再接着
  • ほぞ穴の調整(遊びを少なくし、像及び光背のさらなる自立安定を図る)
  • 後世の修理の際に施された下地が漆ではなく胡粉などの場合は、後世施工の層を取り除いてオリジナル層を出すことも可能。但し、下地に漆が用い
    られている場合は、除去しようとするとオリジナルの層まで剥がれる可能性がある為、除去せず、表面の剥落止めにとどめる(要調査)

以上、(株)光影堂様の見積書より引用

平安時代後期から鎌倉時代前期(12世紀後半~13世紀前半)の制作。穏やかで優しい表情、頬の膨らんだ丸みのある顔立ち、浅く彫られた衣文様の表現、正面から側面へゆったりと展開する曲面構成などに、定朝様の特徴がみられる。横顔にもこの時代の仏像らしい気品が漂っている。全体に襞(ひだ)の作りが大きくゆったりしていて、おおらかな印象を受ける

おそらく平安鎌倉の古仏を、浄土真宗の本尊に転用したものと推測される。浄土真宗寺院の木仏本尊は、本願寺仏所で定め通りに制作されたものが下賜(かし)されることになっていたが、願い出て支障が無ければ自身が信仰してきた仏像も許可された。真宗寺院の木仏本尊にはこうした例がしばしばある。由来については今後の研究にまちたい。

両手先、両足先、表面の漆箔、光背、台座は後補と思われる。光背、台座の荘厳具は、丁寧に制作された本格的なもの。ただ江戸時代の蓮華座にはあまり見られない意匠が見られ、独特な装飾性が感じられる。あるいは明治期のものか。光背も台座も同時期。

以上、大阪くらしの今昔館(特別展図録)「商都大坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし」より引用